僕が僕であるために

社会に関する硬いことからくだらないことまで気の赴くままに書き綴ります。

難民問題について①(ブログのスタイルに迷ってます)

 今回から、ブログのスタイルを変えてみることにした。80~00年代邦楽に詳しい方ならお気づきであろうが、今までの僕の記事は個人的に好きな80~00年代の邦楽を何か1曲取り上げてその歌詞に半ば強引にその記事のテーマをむりやり重ね合わせるというなんだがよくわからないスタイルをとっていた。

 その結果、書きたいことも内容はふわふわ、その曲を知らない人には伝わらない謎の言い回し、歌詞に絡めるといったガイ先生張りの自分ルールに縛られ言いたいことも言えないこんな世の中じゃという誰得なブログになっていた。(歌が好きなので少しこういったものを挟んでしまうのはご愛敬ということで)

 そこで、今回から試験的ではあるが書きたいテーマを特に形式にこだわらず思うがままに書いてみようと思う。

 

この記事を書こうと思ったきっかけ

 タイトルの本題に入ろう、今回僕が取り上げたいのは難民問題である。

 先日、いつものようにSNSを眺めていたところ、6月20日世界難民の日であり、各々の名民支援団体が募金を求めている投稿を発見し、下記のリンクから総額ながらTポイントを募金した。この記事を読んで少しでも思うものがある人は是非募金していただければと思う。

世界難民の日 | 明日生きるための支援を - Yahoo!ネット募金

 

 そして、僕は思った。「ワイドショーで流れるニュースを見ながら普通に日本で暮らしているだけでは難民問題を身近に感じる(募金先の候補としてあがる)ことは殆どないのではないか」と。ならば、難民問題に限らず何事もインプットで終わっていた僕のほんのわずかな経験と知識と考えをブログという場で発信することで、誰かしらに何かしらの影響を与えることができるのではないかと思いこの記事を書くことにした。

 

難民支援に懐疑的な僕を変えた出来事

 最初に断っておくが、本記事で取り上げる難民問題とは基本的に現在進行形で起こっている、紛争や迫害、政治的理由により難民が中東、アフリカから主にヨーロッパに向かう難民問題のことを指す。

 この難民問題は我々多くの日本人にとって一時的にニュースでは取り上げらていたものの、遠い国の我々には関係のない問題という認識であろう。

 僕はというと、もともと時事問題や社会の動きというのに興味があり、難民問題がニュースになっていた頃は学生で、通っていた学校も国際色が強いといった様々な要因から一般の人よりは強くこの問題に関心を抱いていた。

 このような残酷な現実は改善されて欲しいと関心を抱いていた一方で、パリ同時多発テロ事件*1

をはじめとした欧州各国で実行犯の中に移民・難民の2世や3世が含まれていたテロ事件が相次いだこと、日本社会の保守的な意見を目にして、難民支援というものに懐疑的な気持ちも持っていた。

 そんな時、偶然にも学内で難民支援協会の方による講演会があり、友人と共に出席した。ひねくれた性格の私はNPOといったものや、○○支援といったものに対して夢想家で理想主義の自己満なのではないかといった気持ちをわずかながらもってその講演を聞いていた。

 その講演では、日本の難民認定の制度の厳しさ、行政として対応できる体制になっていないこと、難民と認定されるには難民である証明が必要だが着の身着のまま日本に来た難民の多くは証明できるものなど持ち合わせていないことなど、既知のものから実際に難民支援の現場に立った人ならではの話など様々なことを知ることができた。

 しかし、そのころの私は前述したとおりヨーロッパの現実(あくまでニュースを通した現実)から難民支援、多文化共生といったことに懐疑的な見方が強く、質問でヨーロッパのテロや移民、難民に対する差別を上げ難民移民との共生の難しさについて質問までした。その際、講演者が口にした「理屈ではなく人道的に支援をするのだ」という言葉と、その講演を主催した教授の言った「フランスにも日本にも共生はできるはず」言葉が腹落ちしていなかった。

 後日、僕のゼミの教授と難民問題について簡単に話す機会があり、僕は難民受け入れに関して懐疑的な意見をぶつけてみた。その時の教授の答えが僕の難民受け入れ、問題について懐疑的な僕の考えを大きく変えるものであった。

 その答えは、「日本をはじめとした先進国だって、我々だってもしかしたら難民になるかもしれない。困ったときはお互い様じゃないかな?」というものであった。

 そう、私は無意識のうちに日本は、先進国は、自分は恒常的に難民を"受け入れる"側であると錯覚していたのだ。いつから錯覚していたのであろうか。「不確実性の高い時代」「気候変動・気候難民」「災害難民」「安全保障」といった言葉を聞きながら、自分のいる国は、自分の立場は安全・安心・安定していると思い込んでいたのである。

 中東のここ数十年の混乱だけを見て、常に争いの絶えない土地だと勘違いしている人もいるが、レバノンベイルートはかつて中東のパリと呼ばれるほど美しかったというし、シリアも元々は美しい町であったらしい*2。我々のこの日常もいつ壊れてもおかしくないもろいものなのである。それを忘れて、今起きている現象だけで物事を判断すると誤った認識をしてしまうことに気づかされた。

 "夢想家で理想主義"だったのはこの日常が壊れることはない、自分達は常に難民を受け入れる側だと夢を見ている僕だったのかもしれない。「理屈ではなく人道的に支援をする」というのは一件理屈が通っているようには見えないが、より長く広く柔軟な視点で考えると最も理に適っているのだとその時思った。

 難民問題に関して、この教授の答えで考えが変わってからの出来事に関していくつか書き留めておきたいことがあるが、①という題をうったのでそれはいつか②で書こうと思う。

 

※難民問題についてこんなことが知りたい! 私はこう思う! こんなデータや記事もあるよ!  といったことがあれば遠慮なくコメントいただきたいです。

また、内容以外でもここがよかった、悪かったなんでもコメントお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:2015年11月13日金曜日(現地時間、以下同)にフランス・パリで同時多発的に起きたテロ事件の総称。移民の2世や3世が実行犯にいたことから移民や難民の受け入れについて懐疑的な意見が出るなど議論になった

*2:

私が住んでいた内戦前のシリアは、本当に美しい国だった | ハフポスト